尼子晴久公の墓

付近住所 島根県安来市広瀬町富田


晴久は経久の孫で、父政久が出雲阿用で戦死したあと、経久より家督を相続した猛将であった。
永禄5年(1562)城内において49歳で急死し、そばに並んでいる墓は殉死した人々の墓石と思われる。
(永禄3年 47歳説もある。雲陽軍実記)